長編その1 @
□ストーカー
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「河嶋さん、これから入院来るんだけどお願いできますか?」
「はーい」
病棟に行くとバタバタといつもより忙しそうだった。
早速仕事を与えられ、香は入院準備に取り掛かった。
忙しくなりそうだ、と普段ならガッカリするところだったが、今は忙しい方が余計なことを考えなくて済むとありがたかった。
「えっ!?オペですか?」
「ごめん、連絡不備あって、アッペでこれからオペなんだって。術前準備もお願い、もう上がってくるから」
「え〜そんなぁ〜」
ありがたいと言ってもこういう忙しさはやめて欲しい。
香は忙しいほうが良かったと思った自分を悔やみ、バタバタと病棟を走り回った。
「お疲れ様でした〜先輩オペ患ありがとうございました」
「と、とりあえず無事に終わって良かった」
「帰れます?」
「入院の記録したら帰る…」
香は消灯作業を終わらせて8時間ぶりに椅子に座った。
まだ手付かずの記録に取り掛かった。
「そういや先輩、週末の連休どっか行くんですか?」
「あ〜…名古屋に、ちょっとね」
「名古屋?いいなぁ!彼氏さんとですか?」
「違うよー、友達んちに泊まりに行くの」
香は後輩の質問を綺麗にかわしたつもりだったが、後輩はそうはさせないと質問を続けた。
「先輩の彼氏さん、あんまり顔見れなかったんですけど絶対かっこいいですよね。写真とかないんですか?」
「…しゃ、写真…は…撮らないからないかなぁ…」
「えー!今度撮ってきてくださいよぉ」
「しゃ、写真苦手みたいで…」
「じゃあ隠し撮り!」
「……で、できたら、ね」
後輩の押しの強さに感心しながら、香は苦笑いをした。
「実際、結婚とか考えてます?」
「えっ」
「だって、先輩、言っちゃなんですけど20代後半じゃないですか」
「言っちゃなんだよ…そうだよ、アラサーだよ…」
「今付き合うって、やっぱり結婚考えてないと無理じゃないですか?」
後輩の言葉に香はじっと考えこんでしまった。
そりゃ、全く考えてないわけではないし、結婚出来たらいいなとも思うし、でもアイドルと結婚なんて簡単にできるわけではないし…。
「子どもとかー、やっぱ欲しいじゃないですかぁ。私も早く彼氏作んないとな〜先輩の彼氏さんの友達とか紹介してくれませんか〜?」
「…う、うん、聞いてみる…けど、あんまり期待しないで」
「あっ、コール。行ってきまーす。先輩お疲れ様でした〜」
タイミング良くナースコールが鳴ってくれたおかげで、後輩からのあまり触れたくない話題から逃れられホッとした。
記録を急いで終わらせて、香は家路についた。
結婚かぁ…。
いつかは、そう出来たらいいなとは思うけど。
香は帰宅して部屋の電気をつけた。
2日ぶりの自宅はなんだか暗く感じた。
ご飯を作る気力もお風呂を用意する気力も沸かずに、香はベッドに倒れ込んだ。
半日会えてないだけで、こんなに寂しい。
会いたい。
そう思った時、スマホが鳴った。
「那月くん」
香は泣きそうになるのを堪えて、深呼吸してから電話に出た。
『香ちゃん、お疲れ様です。今大丈夫ですか?』
いつもの優しい那月の声に、香はホッとした。
「はい、大丈夫です。那月くんも、お疲れ様でした」
『…香ちゃん、鼻声ですね?』
「えっ?あ、今ちょっと、くしゃみ、でちゃって」
香は慌てて誤魔化したが、那月は心配に思った。
『何かありましたか?』
「何もないですよ。強いて言えばちょっと今日は忙しかったな〜ってことくらいです」
香は無理矢理笑って、話を逸らした。
「緊急の入院があったんです。その人が緊急手術することになって、それで結構忙しくて」
『…そうだったんですね。大変でしたね』
那月は少し気になったが、香がいつもの調子で話し始めたから、あまり深く追求することはしなかった。
『あ、そういえば。翔ちゃんが香ちゃんの料理を褒めてくれたのを聞いて皆も食べたいっていう話になったんです』
「ええっ!?そ、そんな、皆さんにご馳走できるようなものは…」
『そんなことないですよ〜!今度、機会があったらみんなも誘っていいですか?』
「ふふ。頑張らないといけないですね」
那月がST☆RISHの皆との集まりに香を呼んでくれることが嬉しかった。
自分のことを大切に思ってくれてる、信頼してくれてる。
それが嬉しかった。
「楽しみです」
『僕もです』
胸の奥が暖かくなった気がした。
会えないのは寂しいけど、こうして声を聞くだけですぐに元気になれる。
少し話して電話を切った後は、急にやる気が湧いてきてお風呂の用意を手早く済ませてお風呂に入った。
那月は電話を切ったあと、ソファにごろんと転がりぴよちゃんの大きなクッションを抱きしめた。
なんとなく香の香りが残ってる気がして、那月は顔を埋めた。
「声を聞いたばかりなのに、もう寂しいです」
小さく口にして、ため息をひとつこぼした。