長編その2

□砂月
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半分くらい終わったところで、砂月は「疲れた」と言ってペンを置いて席を立った。

「どこ行くの?」
「休憩」

そう言って部屋を出て行ってしまい、香は1人になった部屋でまた集計を続けた。
前ほど拒絶はされていないが、それでも那月と比べると冷たい砂月に挫けてしまいそうになった。
それでも、砂月でいる間も那月と変わらず友達として接して仲良くなろうとみんなで決めたから、頑張ろうと小さく頷いた。
1人で黙々と集計していると、砂月が戻ってきて自販機で買ってきた紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいた。

「おかえり」

そう言っても砂月は黙って椅子に座るとまためんどくさそうに集計を始めた。
香は泣かないように笑顔を作って、また書類に視線を落とした。

「ん」

香の机の端にトンとイチゴミルクが置かれ、香は顔を上げた。
砂月を見ると視線は合わせてくれなかったが「ついでだ」とだけ言った。

「…あ…ありがとう…」

砂月は何も言わなかったが香はすごく嬉しくて、イチゴミルクを手に取るとぽろぽろと涙が溢れてしまった。
香が静かに泣いていることに気がつくと、砂月は驚いて顔を上げた。

「なっ、何泣いてんだ」
「ご、ごめんなさい…嬉しくて…」
「はぁ!?ばっかじゃねえの」
「だってぇ……ありがとぉ…」
「すぐ泣くんじゃねえよ!だから女は嫌なんだ」

砂月はそう言いながらも、ソワソワしだして居心地悪そうにしていて、それがなんだか面白くて嬉しくて香は泣きながら笑った。

「気持ち悪い。泣きながら笑ってんのかよ」
「えへへへ」
「変な女」

香は涙を拭って、イチゴミルクを飲んで「おいしい」と笑った。
それ以上、会話なく過ぎていったが明らかに空気が柔らかくなって穏やかな時間が流れていた。
砂月の分の集計が終わりペンを置いたが、香は集中して一生懸命集計を続けていた。
集中している唇が少し突き出しているのが面白くて、しばらく眺めていたが砂月は立ち上がって香の机に乗っている残りの書類をばさっと半分以上持っていった。

「え?」
「おせえ」
「あ、ご、ごめんなさい。もう終わったの?」
「当然」
「あ、でも、それ私の分だし」
「いいから黙って続きやれ」
「は、はい」

香は集計の続きに取りかかり、早く終わらせないと、とまた集中した。
半分以上持っていってもらったのに、香の方がまだ遅くて砂月はおせえな、と思いながらも黙って香の横顔を眺めていた。
日が落ちてくる頃、やっと終わらせた香は砂月に「終わりました!」と振り返った。
待ちくたびれた砂月は机に伏せって眠っていた。

「…あ…」

香は口を閉じて、そっと那月が集計してくれたものを引き抜いて、自分のと合わせて提出用のプリントに記入していった。
全部終わって片付けも終わらせてから、香は砂月を起こした。

「砂月くん。砂月くん」
「……ん…」
「終わったよ。お疲れ様」

香が顔を覗き込んでいることに気がついて、ガバッと身体を起こした。

「おはよ」
「……お、ぉ…」
「これ林檎先生に出してきたら終わりだから、私出してくるね」
「……おー…」

香は提出用のプリントと、集計した書類をよいしょと抱えると砂月は「危なっかしいな」と言って立ち上がった。

「貸せ」
「あ、でも」
「いーから貸せ」

砂月は香から書類の束を取り上げると部屋を出た。
香は慌てて部屋の電気を消して、砂月の後を追いかけた。
スタスタと歩く砂月はスピードも歩幅も香と違って、香は小走りでパタパタとついていった。

「…もっと落ち着いて歩けないのか」
「ご、ごめんなさい」
「ったく」

そう言いながらも、歩く速さを香に少し合わせてくれて、香は砂月の隣に立って「ありがとう」とにっこり笑った。
職員室に行き林檎に渡し、帰ろうとする砂月の隣に立った。

「あ?」
「ん?」
「…なんでついてくんだ」
「え?あ、だって、寮に帰るんでしょ?」

砂月は大きくため息をついて歩き出したから、香もそれに合わせて歩いた。

「砂月くん。あのね、明後日ね、課題の提出があって」
「課題なんて知らねえよ」
「那月くんの書いた歌詞で、あの、歌って欲しくて」
「は?」
「明日の放課後、レコーディングしてほしいの」
「……なんで俺が」
「お願い。課題、提出しないと単位が取れなくて。那月くんも…」
「那月の歌なんだろ?俺が歌っていいのか?」

砂月がそう言うと香はしゅんと眉毛を下げた。

「……そりゃ…那月くんに歌ってもらいたいけど…」
「………わかったよ。歌えばいんだろ、歌えば!」
「本当!?良かった、ありがとう砂月くん!」

香は砂月の小指に指を絡めて「約束ね!」と嬉しそうに笑った。

「クソみてえな曲なら歌わねえからな」
「楽譜、那月くんに渡してあるんだけど、見てない?あ、じゃあ、ちょっと聞いてて」

香は寮の談話室に置いてあるピアノの前に砂月を連れて行き、あの曲を弾いて聴かせた。
楽譜を見て何度も頭の中で奏でた音が香の手で紡がれていくとこんなに素敵な曲になるのかと砂月は目を丸くさせた。
本当に楽しそうに嬉しそうにピアノを弾く香に、自分ではない部分が反応しているようだった。

「……那月…」

砂月は眉間に皺をぐっと寄せて、香の手を掴んだ。

「やめろ」
「…あ……だ、だめだった?」
「……ちゃんと歌う。だから、もういい」
「本当?良かった!」

不安そうな顔からホッとしたような顔。
嬉しそうな顔をしながらピアノの蓋を閉めて、一瞬見せる悲しげな顔。
そして顔を上げて、恥ずかしそうに笑う。
ころころ変わる表情に、固く刺々したものが少しだけ丸く溶けていくような気がした。
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