長編その2

□対峙
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次の日も那月はレッスン室が空いている時間、全てを使って練習に励んだ。
練習に付き合わせるのも申し訳ないからと那月は香に来なくてもいいよと言ったが、香はずっと那月に付き合った。
タオルや飲み物の準備もしたし、部屋の準備と片付けも全部香がやった。
那月は香がいてくれることに感謝していたが、香は那月が頑張れば頑張るほどなんだか申し訳ない気持ちになっていた。

「ごめんね。私が、やり直したいって言ったから」

お昼ご飯を食べながら香が小さく呟くと、那月は笑って香の頬をむにっと摘んだ。

「僕も、それでいいって言ったんだから」
「うん…」
「かおりちゃん。そんな顔しないで。いつもみたいに笑って応援してほしいです」

那月はそう言って香の頬をむにむにと両手で挟んで笑った。

「むぅ」
「ふふっ」

手が離れると香は頬を両手で隠して「もぉ!」と恥ずかしがって笑った。

「…私に出来ることあったら、なんでも言ってね」
「うん」
「変なこと言って、ごめんなさい」
「ふふ。かおりちゃん。午後からも頑張るから応援してね」
「うん」

那月はポンポンと香の頭を撫でてからまたお昼ご飯を食べ始め、香もその隣でミルクティーをこくんと飲んだ。
午後からもレッスン室で練習していると林檎が部屋をノックしてドアを開けた。

「練習中にごめんね。今いいかしら」
「林檎せんせえ」
「あの件なんだけどね、向こうから返事がきたの」

林檎はぴらっとメールの文面が印刷された紙を香に渡した。
マスミの事務所からのメールはなんだか堅苦しい文面が並んでいて、香は困った顔で隣の那月を見た。

「……お金は払うから黙っててほしい、ってことですか?」
「そういうこと」
「………そ、そうなの?」

香はもう一度小難しいメールを読み直した。
何度読み直してもマスミからの謝罪の言葉は無くて、香は泣きそうな顔で紙をぎゅっと握った。

「色々思うことはあるかもしれないけど、これが一番、大事にしない解決方法かもしれないわ」
「……はい…」
「シャイニーも、香ちゃんの好きにしていいって。もちろん、徹底的に戦うなら生徒のことだからってシャイニーが責任を持つとも言ってる」

香は唇をぎゅっと噛んで泣くのを必死で堪えた。
お金の問題じゃない。
だけど、これ以上は先生達にも迷惑をかけてしまう。
そう思えば向こうが提示した方法で終わりにするのが一番なのかもしれない。
だけど。

「謝罪の言葉がなければ、到底受け入れられません」

那月の言葉に香は顔を上げた。

「お金の問題ではなく、これはプライドの問題です。勝手に曲を使われてお金で黙っててほしいなんて馬鹿にしてます。本人がかおりちゃんに、お金の話をする前にまず謝るべきです」
「なっちゃんの気持ちもわかるわよ。それが当然だもの。ただ、なかなかそれが難しいのよねぇ…」

林檎は困ったようにため息をついた。

「直接、話すことはできませんか?」

香は声を震わせながら林檎に聞いた。
林檎は「うーん」と困っていたが、きっとお金で納得することはないだろうと考えて頷いた。

「わかった。直接会って、謝罪!話はそれから!そう言っておく!」
「林檎せんせえ」
「あ、ありがとうございます。こんな…面倒なこと…」
「いいのよ。大事な生徒で、大事な未来のうちの作曲家だもの」

林檎はパチンとウインクをして笑って、涙が溢れてしまった香の目元を指で拭った。

「なるべく早く、会える日を作ってもらうわ」
「お願いします」
「課題の件は事情をちゃんと話してあるから気にしないでそのまま発表して大丈夫だからね」
「あ、いえ。ちゃんと作り直しました」
「えっ!?」

林檎は驚いて那月と香の顔を交互に見た。

「作り直したの!?」
「はい。やっぱり…あの曲はもう…」
「もうレコーディングも終わって提出は出来るようにしてます。あとは発表まで練習を」
「だ、だって、あれからまだ4日、くらいよね?」

林檎は驚いていたが2人の表情から本当のことなんだとわかり、声を出して笑った。

「あ、あなた達、逞しいわ!最高ね!」

林檎の言葉に香と那月は顔を見合わせた。

「OK!こっちの件は任せて!練習頑張ってね!応援してるわ!」

林檎は2人に投げキッスをしてレッスン室を出て行った。
どうして笑われたのかはわからなかったが、どうやら褒められたようだと香は那月の顔を見て笑った。

「林檎せんせえ、わかってくれてよかったですね」
「うん。那月くん、ありがとう。ハッキリ言ってくれて」
「うん」
「ありがとう…」

香はホッとしたのか、また涙が溢れてしまった。
手でごしごしと目元を擦ると、那月は擦っちゃだめですよと言って香の手を止めた。
タオルで涙を拭いてあげると、香は涙を溜めた目で那月を見上げた。

「ありがとう、那月くん。那月くんがパートナーで良かった」

そう言ってふにゃっと笑うから、那月はつい、咄嗟に香をぎゅっと抱きしめてしまった。

「えっ」

香は那月の胸に押し込まれ、背中に回された手でぎゅっと抱きしめられた。

「な、那月く」
「ごめん、少しだけ、こうさせて」

那月は香を黙って抱きしめて、香も少しだけ、と思って抵抗しようとした手の力を抜いた。
那月の胸の鼓動が耳に響いて、少し速いその音がなんだか心地良くて香は目を閉じた。
那月は気を抜くと「大好きです」と言ってしまいそうでぎゅっと唇を硬く結んだ。
心の中で何度も大好きを伝えて、必死で言葉にするのを堪えていた。
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