short novels

□冷タイ月
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降り出した雨を感じて、由衣は首をすぼめ、胸の辺りにあげた掌にそれを受けた。

「やば…強くなりそう」

小さく呟いて少しばかり足を早めた。

時刻は八時二十分。
空は、余すところなく暗い。
月は雲に薄く隠れ、遠慮気味に輝いている。

由衣は登下校に一時間かかる高校に通っている。
ちなみに、今日ここまで遅い時間の帰宅の理由は、由衣の所属するバスケットボール部の試合が一週間後に控えているせいだ。エナメル質の光沢のある由衣の鞄が、その部活動を象徴するようだった。


夜の商店街を歩く。
まだ明かりの灯った店が見える。
本当はこの道は少し遠回りなのだが、近道は暗くて危ないから、との母の言いつけだった。

歩くこと五分足らず、由衣の足は遅くなった。

いつもそうだ。ここだけ…暗い。

商店街の一角、昼なら何でもない空気。

しかし、夜は違った。閉店時間の早い店のが集まっているからかも知れない。暗い。恐ろしいほど暗いが、感じられるものは懐かしさに似ていた。
それでもいつもは通り過ぎていた場所に、今日初めて、由衣は立ち尽くした。



「…え?」

その問いかけは、由衣の目に映ったものが生んだ。由衣の黒い瞳の中には、ややはっきりと、小さな少年がいた。

どこかの家の子供なのかな、普通ならそう考えるところだが、由衣にはそうは思えなかった。

一つの考えがよぎる。





「由衣は、霊感が強いのかもね」

友人の言葉だった。



人には見えるはずのないもの。あれは…

確かめようと少年に近寄る。まだ自分の腰ほどしか身長がないことも、近付けばよくわかった。
少年は動かない。
ただ、近寄れば近寄るほど、その穴の開いたような悲しい存在感は、強くなる一方で。

少し手を伸ばすと、少年は由衣の瞳に喰らいつくような目をした。
その時初めて、由衣は「恐い」と思った。好奇心のような、少年に近付こうとする気持ちが跡形もなく消え去る。
手を戻して、この場に立ち止まったことを後悔した。



「…由衣」

その時、小さく聞こえた。いや、やっとのことで聞き取れた。


“この子供は今私の名前を呼んだ”


三秒後の解釈。と、同時に、拍子の抜けた疑問の声が漏れた。

「え…?」

「由衣…由衣、」

先程よりもはっきりとした口調が、追い立て攻めるように由衣を呼ぶ。
もはや破裂しそうな由衣の心臓が、機械的に危険信号を脳に送る。悲鳴を発することも忘れて、由衣はただ来た道を戻っていた。振り返る余裕すらない。このまま走り続ければ駅まで戻ってしまいそうだった。



「はぁ…はぁ」

息を切らして、駅前の銀行付近で足を止めた。即座に振り返って辺りを見回す。

少年の姿は…ない。

ほっと胸をなで下ろし、今度は少し怖いけど、近道をして帰ることにしたのだった。

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