漆黒
□Mare Tranquillitatis
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沈黙しかない部屋の中で、リリスが何か話掛けようと顔を上げた時。
「やほー、お見舞いに来たよー」
元気な声をノック代わりに、黒髪の少女が入ってきた。リリスは笑顔で迎え入れる。
「セスちゃん…なんだか久々に顔を見たわ」
「えへへ、例のアレで細菌研究所に籠もってるからね。アニキどう?うわー、シケた顔」
彼女はカインやアベルの妹にあたる。
黒髪に翡翠色の瞳、まだ幼さの残る無邪気な顔からは、技術開発部の責任者であるセス・ナイトロード少佐だと云われなければ、何処にでもいそうな少女だと思ってしまう。
「これって卒リンってヤツだよね?ホラ、卒業生が在校生シメちゃうって」
「セスちゃん…貴女いつ何処でそんな言葉を」
「保安課が今まで植民団相手に、警備と称して乱暴してきたバチが当たったんだよ。彼らの帰還前に恨み晴らされるなんて自業自得だね、アベル兄さん」
「セスちゃん!」
「……うるさいんだよ、お前ら」
漸く口を開いたアベルだが、その声は低く、冷気を帯びていた。リリスは構わず、アベルの腕に包帯を巻き付けてゆく。
セスはそこらの椅子に腰掛けて足をぷらぷらさせていたが、何かを思いついたのか、人差し指を立てた。
「もう一人のアニキは?」
だがそれが地雷だったらしく、リリスからすぐに返事はなかった。アベルは関心がないようだ。
「ふぅん、ま、いーや。…にしてもカイン兄さんも冷たいね、ボクがバチルスの研究後回しにしてまで駆け付けてんのに、自分は高みの見物ですか」
「それは違うわ、セスちゃん」
セスの台詞を遮ったのは、リリスだった。
アベルの包帯を巻き終えると立ち上がり、棚から液体の入った小瓶を取り出す。脱脂綿に液体を染み込ませ、アベルの切れた口角に優しく押し充てた。
「……カインは統括責任者よ。彼が出て行けば、諍いは簡単に収まるかも知れないわね」
「だったらさっさと…」
「いいえ、それでは駄目なのよ、セスちゃん。一度でも責任者のカインが介入しては、それは本当の意味での解決にはならない。それにアベルはますます植民団の反感を買うばかり…諍いをなくすには、アベルが自分で気が付かなければならない…それをカインは知っているのよ」
リリスは一旦、台詞を切って、アベルの瞳を下から覗き込んだ。
「……アベル、貴方が変わらなければ、何も変わらない、変えられないのよ」
リリスの静かな言葉に、セスはじっと耳を傾け、兄を見る彼女の横顔を見ていた。
美しく、聡明で、優しい…姉や母というものは、きっとこんな女性なのだろう。
だが、アベルは違った。
いきなりリリスの手を掴み、凍て付く瞳でリリスを射ると、口唇の端を吊り上げて嘲笑った。