撫子

□思羽
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──戸部侍郎・景柚梨は、その日珍しく機嫌の良い彼の仮面の上司が仕事の手を止めたので、おや?と首を捻った。
仮面の視線(そもそも仮面に視線があるかどうかはさておき)が、机案の上の一輪挿しにある紅梅に注がれていたので、景侍郎はからかい半分で多少意地悪な質問をしてみる事にした。

「鳳珠、どなたからの贈り物ですか?」

黄奇人こと黄鳳珠は、その類い稀なる美貌の所為で、これまで良縁に恵まれず過ごして来た。
何せ彼の素顔を一度でも見た者は、老若男女関わらず彼の美貌の虜囚になってしまい、人生そのものを狂わされた者も少なくない。勿論勝手に、なのだが。
その為に彼は、顔面を覆う奇妙な仮面を被り続けた挙げ句、名前まで奇人変人の奇人と名乗るようになってしまった。

ゆえに、柚梨にとって上司であり友人でもある彼が、仕事の手を止めるほど誰かに心奪われる日が来たのなら……彼の傾国の美貌を見ても失神したり発狂したりしない誰かが存在するのなら……柚梨は心から祝福し、応援してやるつもりだ。

「何故贈り物だと?」
「だって貴方さっきから早咲きの梅を見ては溜息ばかり。どなたか良い方からの贈り物なのかと」
「いや、これは秀麗からだ」
「ああそうで……え?秀くん?」
「なんだ」
「いえ」

いつの間に花など交わす仲になっていたのかと問いただすのは無粋だろうか。
……いや、相手が紅秀麗ならば、単にご挨拶という可能性の方が高い。あまり色のある話ではないのかも。
景侍郎は、席を立つとお茶を淹れ始めた。かつて紅秀と名乗り戸部で侍童をしていた秀麗が残していった、優しい休息の時間だ。
奇人の机案に茶碗を置くと、景侍郎は自分の分の茶碗を両手で持ち、窓の外を眺めた。

「秀くんもたまには戸部に顔を出してくれると嬉しいんですけどねぇ……」
「御史台がそうそう暇な部署とは思えんな」
「貴方は良いですよ、そうやって便りを交わしてるんですから」
「拗ねてるのか」
「心配なんですよ、監察官吏なんて……秀くんのように真っ直ぐな気性の子には、酷な仕事です」

仮面の顔を上げた奇人は、顎に手をやり何事か思案した。今朝の文を思い出す。

「花を見る余裕もないとボヤいていたな」
「ほらご覧なさい!……可哀想に」
「吏部にいるあのマヌケ男の権限で異動させる手もあるぞ」
「また鳳珠、そんな言い方をして……ですが秀くんが戸部に入るのは私も賛成…」

「誰がマヌケだ、歩く顔面凶器のくせに」

奇人と景侍郎は同時に扉へ目をやり、仁王立ちする吏部尚書の姿を見つけるやいなや、どちらからともなく盛大な溜息を吐いた。
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