撫子

□Theophilus
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君のいないこの街で
僕の心は君を想い歌う

言葉の代わりに奏でる提琴
君の胸へ……届くようにと







月森×香穂子

Theophilus







「素晴らしい演奏だったわ」

実技のクラスからの帰りしな、月森は女生徒に声を掛けられた。
色素の薄い短い金髪に青い瞳、手には楽譜。
誰だろう、と思いつつそれを口にするのは躊躇われ、当たり障りのない返事をする。

「それは、どうも」
「……本当に素っ気ないのねぇ」

月森は多少ムッとしながらも、このテの嫌味にいちいち反応していてはキリがないので無視をして立ち去る事にした。
「ちょっと何よ!」
「用がないなら俺はこれで」
「用ならあるわよ」

大抵の相手なら無視をした時点で諦めて去るのだが、彼女の場合は違った。
月森の肘を掴まえると、半ば強引に引いて歩き出す。
「……おい、」
「いいから黙って付いてきて」
月森は心の底から溜息を吐くと、渋々彼女の言う通りに歩き出した。





ウィーン最古のレストラン・グリーヒェンバイスル。
夕刻だからか、店内には食事を楽しむ家族連れや、賑やかにワインを傾ける人達で溢れていた。

例の彼女は月森を無理矢理テーブルに着かせると、鼻歌混じりにメニューを開く。
「何食べる?オススメはヴィーナーシュニッツェル(子牛のカツレツ)よ。日本語のメニューもあるけど」
「……用件はどうした」

非難めいた月森の視線をものともせず、彼女はウェイターに注文をする。月森の分も適当にオーダーしたようだ。
「聞いているのか?俺はこういうやり方は気に入らない」
「無理矢理誘ったのは謝るわ。だってこうでもしないと話聞いてくれなさそうなんだもの」
「話の内容によるだろう」
「別に貴方に愛を打ち明けようなんて思ってないからそんなに構えないでよ」
「それは結構。で、話とは?」

テーブルに着いた途端に腕組みをし、眉間に深い皺を刻んだままの月森に、彼女は小さく首を振った。
「演奏家には社交性や協調性も必要なのよ」
「……何の話だ」
「レン!貴方こっちへ来て2年よ?女の子の誘いを断り続けて2年。ゲイなんじゃないかって噂されてるの知ってる?」
「………くだらない……俺は遊ぶ為にウィーンへ来たワケではないし、大体君は誰なんだ、何の権利があって俺に、」
「Bitte(はあ)!?君は誰だですって!?……クラスメイトの顔すら覚えないって話は冗談じゃなかったのね…」

月森は水のグラスに口を付けると、席から立ち上がろうとした。
「話とはそれだけか?」
「待ちなさいよ、本題は別よ」
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