撫子

□思羽
1ページ/6ページ

朝尓日尓 色付山乃 白雲之
可思過 君尓不有国

不相見 気長久成奴 此日者
奈何好去哉 言借吾妹

物念跡 人尓不所見常 奈麻強尓
常念弊利 在曾金津流



───万葉集






鳳珠×秀麗

思 羽
おもひば





朝早く、窓から射し込む陽の光に目蓋を照らされ微睡みから覚めた黄家の麗人は、ゆっくりと寝台から身を起こした。
掻き上げた射千玉の髪が夜着の上を滑り、さらりと音を立てる。そのまま裸足で寝台を降りると、まだ靄の立つ朝を眺めるべく窓を開けた。

凛とした冷たい空気と、草木の匂いを胸に吸い込む。
と、大樹の枝に小鳥の美しい囀りがして、思わずそちらを見上げた瞬間、短く鳴いた小鳥がぽとりと地面に墜ちた。

「……………」

漆黒の瞳を縁取る睫毛が、露を含んで濡れたように震え、次いで形の良い口唇で、美姫かと見間違う程の容貌の持ち主とは思えない悪態をついた。

「……そんなにこの顔が鬱陶しいか」


清々しい朝の筈が一変、また今日も黄戸部尚書の苦悩の一日が始まる。
"その顔では飛んでいる鳥も落ちる"と笑った同僚の忌々しい顔が脳裏に浮かぶ。「本当だねーあはははー」などとは死んでも思わないし言わない。絶対に。



身支度をきちんと整えた彼は、朝食を摂る間もひっきりなしに書簡に目を通す。忙しない事この上ないが、最早日課である。
名門貴族・黄家の跡取りである彼に届く書簡は大概が縁談で、適当に仕分けた後は邸の使っていない部屋に山積みにしてある。黄州本家も彼が「結婚出来ない理由」を知っているから、縁談を寄越すのも形式上といった具合だ。

ふと、彼の手が止まる。
高価ではないが趣味の良い文箱が一つ。結んであるのは紅い飾り紐。
蓋を開けると、見慣れた字で丁寧に綴られた文に、花を付けた梅の小枝が添えてあった。


先日は文を有難う御座いました。

御史台から見える中庭に、梅が咲いていました。
私も中々ゆっくりと花を見る時間は取れないのですが……恐らくは私よりお忙しい黄尚書に、ちょっぴりお裾分けします。



丁度その時、窓から入った風が文の上をなぞり、優しい薫りがふわりと鼻腔を擽った。

……梅花の移り香。

彼はしなやかな指で文を持ち上げると、静かに口唇に押し充てた。





.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ