撫子

□SOSTENERE
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高速に乗って1時間、高級な場所は気後れするという彼女の為に、海が見える小さなレストランへと案内した。

旧い洋館を改造した隠れ家的な店で、フランスの家庭料理を夜景と共に楽しめる。
此処へは女性はおろか生徒を連れてきた事など、当然のように無い。


「君はピアノ曲をヴァイオリン用に編曲した譜を弾くのが好きなのか?」

君は美しくデセールされたソルベを口に運びながら、私の問いかけに首を傾げる。
「……君がさっき弾いていたのはショパンの"雨だれ"だろう?なんでも君は学内コンクールでもショパンの"別れの曲"を弾いたとか」
「ああ…いえそんな特にこだわっているワケでは…」
「金澤先輩から、コンクールでは多少のアクシデントがあったにせよ、なかなか良い解釈だったと聞いている。今度私の前で是非聴かせてくれないか」
「めっ、めめめっそうもない!」
「どうして。さっきの"雨だれ"も悪くなかった、晴れ間に降る天気雨みたいで」
「………」
「なんだ」
「素直に褒められると気持ちが悪いです」
「…君は私を勘違いしていないか?」

我ながら愛想の無さに自覚はあるが、言葉通りに受け取って貰えないのは何故なのか……思えば学生時代からそうだった。
金澤先輩と姉と…星奏学院で共に過ごした日々。

もう二度と帰らない、純粋に音楽を追いかけていた、あの頃──



「吉羅理事?」

姉を死に追いやった音楽を憎んでいた。過去の自分すら否定し、音楽を捨てた。
理事に就任したのにも何の感銘も無い。
あの小うるさい羽根付き妖精は今でも鬱陶しいと思っているし、あいつの気紛れで巻き込まれたこの子を不憫にさえ思う。

けれど、この子は逃げなかった。

私が捨てた音楽を、否定した全てを、今また私の目の前に幸せそうな顔で拡げて見せる。



姉の声が聞こえる。


暁彦、わたし幸せよ……





「吉羅理事?どうかしましたか?」
「いや……デザートはもういいのか?ケーキもあるぞ」
「いえもうお腹いっぱい…ゴチソウサマでした」
「そうか、では……」

ちらりと時計に目をやった後、窓の外に目線を移す。
いつの間にか雨は上がり、顔を出したばかりの月が、黒く濡れたアスファルトを照らす。海岸線に沿うように、遠くの夜景がきらきらと瞬いていた。

「まだ時間はあるか?」

君は、小さく頷いた。







車を沿道に停め、海へと降りる。
海と云っても砂浜があるワケじゃない。整備された遊歩道には等間隔で外灯が置かれ、晴天ならば夜景スポットとして賑わうのだろう。
あの雨の後では、人気もなく静かなものだ。
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