漆黒

□Langen torpedos
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ディートリッヒは、ケンプファーが細く吐き出した紫煙の行方を鳶色の眼で追いながら、この奇怪な同僚を初めて見たあの日の事をぼんやりと思い出していた。

自らの、血の日々も。






──22年前、ゲルマニクス王国。

暗い夜明けに、地方領主・ローエングリューン家に産声を上げた男児は、母親に似た鳶色の髪と、父親に似て鳶色の瞳をしていた。
ローエングリューン家は小さな領土に一族で暮らしており、領民からも慕われる良き統治者であった。

ディートリッヒと名付けられたその子供は、教会の天井画から抜け出した天使の如き愛らしさで、敬虔なカソリック信者だった両親・親類縁者は勿論、領民の誰からも祝福を受けた。
夫妻には他に子供はおらず、漸く授かった一族の跡取りを大層喜び、特に母親がこれを溺愛した。

三歳の頃には読み書きが出来、その知能の高さに周囲の大人達は驚愕し、揃って誉めはやした。"ディートリッヒちゃんは可愛いだけじゃなくて頭もいいのねぇ"……両親にとって文字通り自慢の息子だった。
またこの頃、領園内において相次いで鶏や犬や猫がいなくなる事件が起き始める。





自分の息子の異変を最初に感じたのは母親だった。

母屋の隣にある納屋は普段は人に使われておらず、ポテトの貯蔵庫やワイン樽等が置かれており、この薄暗い空間がディートリッヒの遊び場となっていた。

ある日、昼食の準備をしていた母親が雨に気付き、外で遊んでいる筈の息子を呼びに行った。家の周りにはおらず、雨足が強くなったので納屋だろうと思い、息子の名を呼びながら小走りに納屋まで駆けた。

その時微かに風に乗って、雨に混じる鉄の匂いが彼女の鼻孔を擽った。不審に思いながら半開きの木戸を開けると、むっとした空気と共に、目の前には凄惨な光景が拡がっていた。


白い腹を無残に切り裂かれ、皮を剥がれ吊された飼い猫。
額は割られ、小さな脳は剥き出しのままポテトの貯蔵庫の上に置かれている。その傍らにはまだ生きている別の猫、そして今にも猫にナイフを振り下ろさんとしている息子………

「やめなさい!何をしているの!」

慌てて声を荒げた母親は、信じられないといった顔で息子を見た。
「どうしてこんな事をするの!アリスはあなたも大切にしていたじゃない!」

すると息子は、邪魔が入って興醒めでもしたかの様な溜息を吐き、母親に向き直った。
「大切にしてたから、だよ。遊んでいたらウッカリ死んじゃったんだ。イレモノさえ変えれば記憶は元のアリスのまんまでしょう?大丈夫、今度は失敗しないよ」


微笑んだその顔は、天使の様に美しかった。


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