漆黒

□Mare Tranquillitatis
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リリスがエリッサを伴って部屋を出た先に、比較的広いエントランスホールがあるのだが、二人はそこで数人と談笑している青年を見つけた。
リリスらと同じ白い隊服を痩身に纏ってはいるが、彼ひとりが赤い袖章を巻いている。それはこの火星植民計画-レッドマーズ・プロジェクト-における最高責任者を意味する。

リリスとエリッサに気付いたのか、青年はそれまで談笑していた数人に軽く手を挙げて別れると、コーヒーを片手に近づいてくる。

長身痩躯、肩までの金髪に、冬の湖を思わせる碧眼。
白い容貌に浮かべた穏やかな微笑みは、雨上がりの朝のような透明感に満ちている。

「ナイトロード大佐」

エリッサは小さく踵を鳴らして敬礼をするが、あくまでも義務や習慣みたいなものだからであって、その証拠にエリッサの表情は固く、険しい。
だが気付いているのかいないのか、別段気にした風もなく、カイン・ナイトロード大佐はいつもの様に穏やかに笑って頷いた。

「これはシュライト中尉に、サール中佐、ご機嫌麗しゅう。…はて、二人とも血相変えて何処に行く気だい?」

呑気なカインの態度に、リリスは僅かに片眉を上げる。
「……カイン、アベルは何処にいるの?」
「アベル?…キミは不思議な事を訊くね、リリス。僕は弟の番人じゃないよ?」
カインはふわりと笑うと肩を竦めた。
「一応訊くけど、ウチの弟がどうかしたのかな?僕のもとには何も報告がないのだけれど」
「…なんだか騒ぎを起こしているって」
「またかい?まぁでも放っておきなよ。甘やかすと彼の為にならないよ?」

カインは、手にしたコーヒーに口を付けて静かに啜った。
彼の弟は、つい先日も派手な喧嘩をして独房代わりの小さな個室に入れられたばかりであったから、放っておけと云いたいのも理解出来る。だが……

先程から口をつぐんだままのエリッサは、カインを見つめて何やら考え込むリリスの袖を引いた。
「我々でお探ししましょう…失礼致します、大佐」

エリッサは再度敬礼をし、踵を返して出口に向かう。
リリスはエリッサを追う前に、もう一度だけカインを見た。

「でも、それでも、私や貴方が彼の味方をしてやらなくちゃダメよ、……カイン」



走り去るリリスが振り向く事はなかった。彼女の背中に揺れる長い髪を目で追って、カインは残りのコーヒーを飲み干すと、小さな溜息を吐いた。
「……やれやれ」












肩までの銀髪、冬の湖色をした双鉾、翳りを落とした白い顔……尤も、今は血がこびり付いて汚れてはいたが、髪の色以外はカインと良く似たその青年は、長身を屈めて俯いたまま、リリスと二人、怪我の手当ての為に処置室に居た。
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