戦國ストレイズ
□お仕事
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「……あの尾張の端のあの領主の元へ行けと申されるのですか?」
「そうだ。最近、あれに任せている領地の馬鹿領主が、おれが定めた税よりかなりの重税を民から徴収し、道楽の限りを尽くしていると耳に挟んだのでな。…それが真か、勝三郎、調べてこい」
「……あそこに行けと申されるのですか」
信長の指示に、池田は珍しく微かに顔をしかめ、嫌そうに言う。
池田が不平を挟むのも理由があった。
尾張の端のあの領地は、治安がいいとは決して言い難い所だ。だが、そんな理由だけで行くのに気が進まない訳ではない。
治安は良くないが、国境にある為、交易などで決して貧迫している訳もなく、寧ろこの尾張の領地としては、豊かな部類に入るだろう。
だが、人間余裕が生まれると、他に目移りする生き物だ。
そしてその目移り事はたいてい決まっている。
「あの色街に…」
そう、池田が嫌がる理由は、交易で寄る商人やら旅者に向けたあの色街のせいだった。
色街自体を悪いとは言わない。
あれも戦国の女が生きるための致し方ない手段だ。だが、男の身の自分が、あの盛んな色街に行かなければならないのが苦痛だった。
元服などとうに迎えているこの歳で、女を知らない訳ではないが、性格のせいか、ああいう娼館というものはどうも慣れない。
いちいち袖を引いてくる女をあしらうのも面倒で、池田は極力、何かよっぽどの仕事の用向きが無ければ、ああいう所には行かないと心に決めていた。
「例の藤吉郎とか言う情報屋に行かせれば宜しいのでは?」
「あれには今別の城を偵察させておる」
唯一浮かんだ回避手段も、信長の一言であっさりと崩れ去ってしまった。池田は頭に手をやり、深く溜息をつく。
「…仕事さえ熟せば、二、三日の滞在位、許してやらぬ事もないが?」
「…」
この主君は、自分がああいう色街を避けているのを承知の上で、あえてこういう勅命を下す御仁だ。この愉快そうに含んだ笑みが、全てを物語っている。
そっちがそういう手段でくるのなら、こちらにも考えがある。
「…承知致しました」
「…ほう」
いやにあっさりとした池田の快諾が意外だったらしく、信長は目を細めて池田を見遣る。
「そのかわり城の下女を一人、同行させても宜しいですか」
「下女だと?」
池田の申し出に、ますます意外そうに目を丸くする信長。
「はい。殿も承知とは思いますが、私はああいう色街は苦手な性分。だから付き人として下女を一人貸し付けて頂きたいのです。連れに女がいれば、無理に袖を引く女もいないと思われますので」
「…いいだろう。では後で誰か女を一人付けさせ…」
「…草薙かさね」
信長の言葉を遮る様に、池田がぼそりと呟く。
「…何?」
「草薙かさねを私の連れ人として同行させて頂きたいのですが」
「…」
池田の言葉に顔を顰める信長。
「あの娘なら剣術も嗜んでおりますし、道中に何かあった時、足手まといにはならないでしょう」
「…」
「殿ともあろうお方が、まさか私情を挟んで嫌だとは申されませんよね」
好戦的な含みを帯びた池田の声色に、信長は苦々しく眉を吊り上げた。
軽い嫌がらせのつもりが、どうやら完全に揚げ足を取られた様だ。
「……好きにしろ」
信長は池田を睨み付けながら吐き捨てる様に言った。
そんな様子の信長を見て、相変わらずの変わらぬ仏頂面で池田が頭を下げる。
「殿が先程申された二、三日の滞在のお心づかい…有り難くお受け致す事にします」
そう言って池田は勝ち誇ったかの様に、微かに笑った。
「え?私と池田さんで?」
かさねが意外そうに目を丸くする。
「殿から命が下ると思いますが、取り敢えず指名した人間として直接頼んでおこうと思いまして」
「ああ、それならさっき殿様から聞いたかも」
「殿が?」
「なんかさっきいきなり来て、「…女、池田に付け。」って一言だけ言って行っちゃったからわけわかんなかったけど、そういう意味だったんですね」
かさねが信長の台詞の部分を、顔を信長と同じ様に顰めながら、低い声色で真似て説明する。
「殿、不機嫌でしたか」
「はい、なんかいつも以上に機嫌が悪そうで…って何で知ってるんですか?」
かさねが池田の言葉に、不思議そうに見返す。
池田は得心した様に肩を竦める。
「あの方もわかりやすい人だな…」
「?」
一人合点している池田に、かさねは訳がわからず首を傾げるばかりだった。
「じゃあ行ってきます!」
城門で、かさねは荷物を抱えながら三馬鹿組に言う。
泊まりがけの仕事と聞いて、ひとしきり必要な物を詰め込んだ出立だ。荷は少々重いが仕方ない。
「かさね殿、忘れ物は有りませんか?」
「はい!大丈夫です!」
何回も確認して完璧なはずだと、かさねはフン!と力強く胸を張る。
「迷惑かけんじゃねぇぞ馬鹿女」
「気を付けろよかたね!」
「大丈夫です!」
なんだかんだで案じてくれている三人組に、かさねは嬉しくて笑顔を向ける。
「草薙殿、そろそろ…」
「は、はいっ!じゃ、行ってきます!!」
呼び掛ける池田に駆け寄りながら、かさねは離れていく三人組に大きく手を振る。
「…何だか、妙な組み合わせだな」
内蔵助が遠目でかさねと池田を見つめながら、そうぼやいた。
「何でも勝三郎たっての申し出らしいですよ」
内蔵助の言葉に、五郎左は返事を返す。
「殿はなんか機嫌悪いし…」
犬千代がうなだれる。池田とかさねの二人の仕事が決まってからと言うもの、信長の機嫌がしこたま悪い。
見送りにこそ来なかったが、天狼が様子見とばかりに、城門にとまってかさね達を見ている。
「まあ、あの勝三郎とかさね殿ですから、何か間違いがあるとは思えませんけどね…」
五郎左はポソリとそう呟いた。
「あれ?馬に乗っていくんですか?」
「…まさか荷を背負って歩いて行くとでも思ってたんですか」
「え?あはは…」
かさねの渇いた笑いに、池田があからさまな溜息を零す。
「飛脚じゃあるまいし、遠出の旅路は馬に決まっているでしょう。…草薙殿は馬術の心得は?」
「うーん…、小さい頃牧場で乗せて貰った事はあるけど、…一人ではちょっと…」
かさねの返答に、池田は自分の荷とかさねの荷を、落ちない様にしっかりと馬に縛り付ける。
「草薙殿」
「うわっ?!」
池田はかさねを抱え上げ、馬に乗せる。
かさねは何の予告もなしに抱え上げられたので、驚いて声を上げる。
かさねはすとん、と馬に乗せられ、池田もかさねと同じ馬に軽やかに騎乗する。
池田はかさねの前に座り、馬の綱を手に取る。
「馬の二人乗り…」
かさねが嬉しそうに目を輝かせる。
馬に乗ったのなんて何年ぶりだろうか。
高い視点に、軽く感動する。
「進んでいる時は振り落とされないよう、ちゃんとつかまっていてください」
「どこにですか?」
「……私以外に掴まる所が有るんですか」
呆れた視線をかさねに向ける池田。かさねはうっ、と萎縮する。
「すいません…」
「…さっさと行きますよ」
池田は軽く綱を引き、馬はそれにしたがって静かに進み始めた。