戦國ストレイズ
□喧嘩
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「うわっ!天狼どーしたのそんなに汚れて!」
夕刻になり、風呂に浸かろうと風呂場に向かっていたかさねの前に、何処で汚したか、体中泥だらけになって己の体をせっついている天狼と鉢合わせる。
「こんなに汚して…殿様に部屋に追い出されたの?」
あの綺麗好きな殿様の事だ。こんなに汚れていては、いつも通り天狼が殿様の部屋に入ろうとした所を、追い出したに違いない。
「私もこれからお風呂に入るから…天狼も一緒に入ろっか」
そう言ってかさねは天狼をガシッと抱き抱える。
天狼は驚いて逃げ出そうともがくが、かさねは問答無用に連れていく。
「ほら!逃げちゃ駄目だってば、天狼!」
かさねは湯舟の隣で、天狼をわしわしとお湯で湿らせた布で拭く。
しかし水を恐れて天狼が暴れるものだから、無理矢理水を浴びせて一気に汚れを落とす。
「綺麗になると気持ち良くない?天狼」
かさねは天狼に問い掛けるが、天狼は体をぶるぶると振るわせて水を払って、どこか恨みがましそうな目でかさねを見る。
人間にしてみればお風呂に入って汚れを落とすのは当然だが、動物の−−−…、とかく鳥である天狼にとって、この行為は普通ではないだろう。
寧ろ無理矢理体をずぶ濡れにされ、怨みこそすれ、感謝の念など感じないに違いない。
だが天狼の気持ちは無視して、かさねは天狼を綺麗にした事に満足して、自分も湯舟に勢いよく浸かった。
「キモチいい〜…」
一日の中で、いまこの瞬間が、最近の一番の幸せだ。
かさねは肩まで湯に浸かって、まだ水を払うのに忙しそうな天狼をちらりと見た。
「ほら天狼、もっとこっちおいで」
かさねが天狼に手を伸ばそうとすると、いきなり風呂の扉がバンッ!と開け放たれた。
かさねが驚いて何事かと視線を向ければ、そこには機嫌悪そうな信長が立っていた。
「…と…の……あ、あぅ…あ……え!?」
かさねはあまりの事に言葉を失う。
今は天狼と入浴中。当然今服はきていない。
なのに信長は当然のように顔色一つ変えず、ずんずんと風呂場に入ってくる。
「天狼を勝手に連れ出すな」
ギロリと鋭い視線でかさねを見下ろし、一言だけそう言って、天狼を抱えて、信長は嵐のように風呂場から出て行った。
「…………。…………………ギャァァアァ−−−−−ッ!!?」
「さっきはどういうつもりなんですか?!」
かさねが遅ればせながらひとしきり叫んだあの後、慌てて湯舟から上がって、着替えてから信長の部屋に断固抗議に現れた。
たいていの事なら、かさねだって不満は感じつつも流すだろう。だが、今回の信長の行動は許しがたいものがある。
「ひ、人がお風呂入ってる中当然の様に入ってこないで下さい!!」
かさねだって年頃の女の子。
同性に裸を見られる事にも、微かな気恥ずかしさを覚える歳なのに、異性の、しかも自分と近い年端の立派な男である信長に、当然の様に風呂場に入って来られて、思いっきり裸を見られて、これで平気な方がおかしい。
かさねの罵声に信長がちらりと、かさねを上から下まで見回す様に視線を送る。
「見られて恥じらう程の身体でも無いくせに…」
「!!」
かさねは信長の失礼極まりない暴言に言葉を失った。
子供みたいな体つきが判るほど、少なくとも裸を見られた事がわかったし、何より人の、女の子の裸を見といてこの暴言。信じられない。
かさねは怒りの余り、近くにあった書物を信長に投げ付けた。
信長は難無くそれを軽く受け止め、一体どういうつもりだ、と言わんばかりにかさねに鋭い視線を送った。
「最ッ低…!!」
かさねは一言そう吐き捨て、信長の部屋から鼻息が荒く出ていった。
「信じられない信じられない信じられない信じられない…!!」
かさねはぶつぶつと悪態を付きながら、粗い足取りでドスドス廊下を歩く。
「あ、かさね殿もう湯から上がっ………」
ちょうど廊下で何時もの三馬鹿組と居合わせるが、かさねのただならぬ様子に五郎左が声を掛けようとして止まった。
内蔵助は何事だと目を丸くし、犬千代は怯えて五郎左の背後に隠れる。
かさねは自分の部屋まで着くと荒々しく襖を開け、自分の荷を探り出す。
三馬鹿組はかさねの様子に、戸惑いながらも案じて少し遠目で様子を伺う。
かさねは自分の部屋から最低限の物を持ってまた部屋から出て来た。
「か、かさね殿、…そ、そんな荷を持って一体どうしたんですか?」
「…く」
「…は、はい…?」
かさねの小さな呟きに、五郎左が恐る恐る聞き返す。
「出てく!!」
「は…………?……………えええ!?」
かさねの宣言に五郎左達が声を上げる。
「ちょっ、待って下さい!出ていくっていきなりどうして…!」
五郎左が慌てて制しようとするが、かさねは全く聞く耳持たない様で足を止めない。
「と、殿…」
「!」
その時信長が前方から現れて鉢合わせる。
かさねは無言で信長を睨み、信長も何も言わなかった。
「殿!かたねが出てくって!」
「殿もかさね殿をお止めください!」
「出ていく…?この城からか」
五郎左達のまくし立てに、信長が目を細めてかさねを見遣った。
「…」
かさねは何も答えずに信長を見上げる。
「…出ていきたいのならば勝手に出ていけ。おれの城に使えぬものはいらん」
「殿!!」
容赦ない信長の物言いに、五郎左達が口を挟む。
「…言われなくとも!」
かさねは最後に信長を一睨みした後、足早に歩み出す。
五郎左達が戸惑いながらもかさねの後を追おうとする。
「三馬鹿供!追うな!」
「で、ですがこんな夜に一人で城から出るなど…!」
「…おれの命が聞けぬというのならば、その首飛ぶ覚悟を据えるんだな」
「…っな」
「…殿!」
信長は五郎左達の抗議の声を遮る様に、鋭い目で睨み付けた。
その殺気の篭った赤眼が、冗談ではないと汲みたてる。
「…」
五郎左達は押し黙る。
恨めしそうな、批難めいたその視線に、信長は眉を寄せる。
「…もう宵だ。さっさと部屋へ帰って寝ろ」
信長はその視線を気付かないフリを決め込み、颯爽と己の部屋へと戻って行った。
「…何だ」
戻って来た部屋の前に池田が立っていて、信長が面食らう。
「…」
池田は何も言わずに信長を見ている。
その視線はあの三馬鹿組と同様の含みを見せて、信長は顔を顰めた。
「…何か言いたそうだな」
「…今回は…草薙殿が余りに不憫かと」
「…」
信長は池田の言葉から出た単語に、眉を吊り上げた。
「…草薙殿とて若い女子。あの様な物言いをすれば腹に据え兼ねるのも当然です。殿は些かそれを弁えておりませぬ」
「…立ち聞きか」
「あれだけ騒いでいれば嫌でも聞こえます」
信長がフン、とつまらなそうに鼻を鳴らし、池田は変わらぬ表情で信長を見遣る。
「…女子とは本当に好いた男以外に素肌など見られたくないものと思いますが」
「…おれが悪いと吐かすか」
「…」
池田は何も言わなかったが、その沈黙が信長の問いを肯定していた。
「…草薙殿を如何なさるおつもりですか」
「如何もなにも、あいつはこの城から出て行った。如何様にもするつもりもない」
「出ていきたい奴は勝手に出ていけば良い」
これ以上抗議など聞かぬとばかりに、信長は己の部屋へと入って、襖をぴしゃりと締め切った。
池田は珍しく表情を歪めて、致し方なく、その場を去った。
「…」
信長が部屋へ入ると、そこには天狼が控えていた。
「天狼、来い」
信長は自分の片腕を上げ、天狼を呼ぶ。
だが天狼に反応は無い。
「…」
「…おまえまでおれが悪いと責めるか」
天狼は己以外には滅多に懐かず、他者の言うことも聞かない。
懐いていない者が近寄れば、直ぐさま飛び去るつれなさだ。
信行がいい例だ。長い間信行を見知っている筈だが、今だもって天狼は信行には懐かない。
だが、妙な事に、天狼はあの女には懐いていた様だった。
懐くというには些か違うかもしれないが、少なくともあの女が近寄って直ぐさま飛び去る事はなかった。
前には、あの女が寝ている所に自ら近寄り、その頭の上に乗っていた事もあったらしい。
それを踏まえても、懐いているとは言い難いが、信行や佐渡達の様に毛嫌いしている訳ではなさそうだ。
「…おれに文句があるならばかまわん、おまえも出ていけ」
信長は襖を開け放って、どすっと上座に座る。
天狼は鳴きもせず、信長に一瞥くれて、すぐさま開け放った襖から、外へと飛んで行った。
「…どいつもこいつも」
おれは悪くない。
信長は苦々しく顔を歪めて、フンと鼻を鳴らした。
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