戦國ストレイズ

名前
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内かさほのぼの話。





「ん?なんだてめぇ」

内蔵助は縁側でささらの手入れをしていたら、そこに一匹の猫が己へと近寄ってきた。


小柄な黒猫でにゃおと一鳴きして人懐こく擦り寄ってくる。

「…ったく、あっち行け」

内蔵助はそんな黒猫を邪険に追いやる。しかし黒猫はそれでも引きさがろうとしない。


「言っとくがな、俺はてめぇに遣るエサなんざ持ってねーぞ!」

内蔵助が黒猫に向けてどなり散らすが、黒猫はそんな内蔵助を見ても愛想良く鳴くだけだ。

「…」

内蔵助は毒気を抜かれた様で溜め息を一つ吐いて、黒猫から視線逸らしてささらの手入れに戻った。

「…」

内蔵助が構わなくなっても、黒猫は内蔵助の隣にちょんと利口そうに座って内蔵助の手元を見つめていた。

「…何だよ全く」

黒猫は何を言うでもなかったが、あまりに自分から離れないので、
内蔵助はその視線に耐えきれなくなってまた黒猫へと視線を向ける。

「…」

「にゃあ」

また猫が小さく鳴いた。猫の大きな栗色の双眸が、此方を見つめている。
内蔵助は恐る恐る黒猫へと手を伸ばした。
初め手を伸ばした時に考えた、この猫が逃げるかもしれないという懸念はただの徒労に終わった。
猫は逃げずに内蔵助にそのまま気持ち良さそうに撫でられている。

「随分人懐こいな、お前」

内蔵助は猫をひょいと抱え上げ、己と面と向かわせる。

猫はまた、小さくにゃあ、と鳴いた。

「殿の…猫の一匹じゃねぇよな…」

黒猫なんてありきたりな柄で、この城にも何匹か居るが、この猫はほかの猫と何処か違う様に見受けられた。

この城に居る猫の大半はこの城の当主、信長様にしか懐かない。

この様に人懐こい猫は見たことが無い気がする。

「雌か…?」

じいっと猫の顔を見つめる。
猫は内蔵助の視線にきょんと首をかしげて此方を見つめた。

「…お前、名前無いのか?」

「にゃぅ」

内蔵助がそう問うと、猫はまるで内蔵助の問いに答えるかのように一鳴きした。
まさか人間の言葉が分かるのかコイツ、と内蔵助は眉を寄せたが、すぐさまそんな訳ないだろうと首を振る。

「…なんかお前、何かに似てるよな」

内蔵助がうーんと唸りながら呟いた。
この馬鹿そうなツラ。小さくて細い身体。人懐こくて愛想のいい性格。

「…何だかお前あの馬鹿女に似てるな」

思い起こされたのはあの妙な女。
このくりくりとした茶色がかった目も、あの女を彷彿とさせた。

「…」

内蔵助は黙って猫の顔を見つめ続ける。

「名前…」

ぼそりと、内蔵助が呟く。

「お前の名前は…、……かっ」

呟こうとして、思わず言い淀んでしまう。
今自分がやろうとしてる事はもし本人見られたら恥ずかしすぎる事だ。恥ずかしすぎて死ねる。

「かさね…って、名前…いいんじゃねぇか…」

羞恥により自信の無い声色でぼそぼそと呟いた。
何だかこの猫を見ていると、あの馬鹿女の顔が思い起こされたのだ。

名前は、知っている。

けれども一度たりとも、この名であの女の事を呼んだ事は無い。

初めから馬鹿女、阿保女と呼んでいた。
今更名であの女の事を呼ぶのは…なんだか照れ臭い所為だ。

「にゃあっ」

猫はどうやらその名が気に入ったらしく嬉しそうに鳴いた。

「気に入ったのか」

何だか少し恥ずかしかったが、少し嬉しい気もした。
内蔵助は改めて名を呼んでみる。

「かさ、ね」

「にゃ」

猫が返事を返す。

「…かさね」

「にゃぅ」

普段呼べぬ名を呼ぶ事はとても新鮮に感じた。
知らず知らずのうちに、この黒猫にあの女の事を重ねてしまう。
きっと己があの女の名を呼べば、何の疑いも無く、あの満面の笑顔を、俺に向けるんだろう。

「おい、かさね」

「はい。何ですか?」

「!!?」

その時すぐ背後から若い女の声が聞こえた。
内蔵助はその声を聞いて、思わずばっと背後へと振り向いた。

「はい?」

そこにはかさねがにこにことしながら此方を見ている姿があった。
内蔵助は思わず動揺のあまりじりじりと後退してしまう。

「なっ、なんでてめぇがここに!?何時からいた!?」

内蔵助がやっとの思いで叫ぶようにかさねに問いかけた。
いつから此処に居た!?いつからこんな恥ずかしい独り言を聞かれていた!?

もしかしてこの猫に話しかけていた全てを聞かれたかもしれぬという羞恥が内蔵助を襲った。

というよりもなによりも、こいつが返事をしたという事は、少なくともこの馬鹿女の名を呼んでいたのは間違いなく聞かれていた。
顔がいっきに熱を帯びる。動悸が激しく波打つ。
動揺を隠しきれない。

最悪だ。最悪すぎる。

「内蔵助さんに用事があって来て…気付いてるのかなって思ってたんですけど」

内蔵助の様子にかさねが訝しそうな視線を向けている。
内蔵助は何とか心臓の脈打ちを鎮めながら、探る様な視線でかさねを睨みつける。

「よ、用ってなんだよ?」

「あ、そうなんですよ!実は知らない猫が一匹いて――…。あれ?その子は?」

かさねが内蔵助が抱えている黒猫を見遣ってそう言った。

「こっ、こいつは別になんでもねぇよ!!こいつに名前なんてねぇからな!」

「へ!?ど、どうしたんすか?」

内蔵助が大声を上げてかさねが不思議そうな顔をする。
まずい、このままでは完全に自分が挙動不審だ。

「…あっ?猫…?」

かさねの足元に視線を向けると、目付きの悪い白猫が一匹佇んでいた。内蔵助は眉を上げる。

「あ、そうなんですよ。この子庭掃除してたら寄って来たんですけど。この城の猫じゃないっぽいし…
どうしようかなって思って相談しに来たんです」

「…かわいくねぇ猫だな」

内蔵助が白猫を睨みながら言った。
なんだか喧嘩を売られている様な気分になる目付きの猫だ。

「そうですか?私は結構可愛いと思うんですけど」

そう言いながらかさねは白猫に愛おしげに頬擦りをする。
白猫はむすっとした顔のままだったが、かさねに大人しく身を任せていた。

「で、内蔵助さんその子はどうしたんですか?」

かさねが内蔵助が抱えている黒猫を見遣って再度問いかけた。
内蔵助ははっと現実に引き戻され、慌ててかさねを見遣った。

「…こいつもどうやら迷い猫らしい」

「そうなんだ…」

かさねが少し寂しそうな顔で猫を見遣る。
すると白猫がかさねの腕の中で暴れ出す。

「うわ、何っ?どうしたの?」

かさねが慌てて猫を地面に下して自由にしてやる。すると白猫はとてとて黒猫の元へと向かう。

黒猫と白猫は互いに鳴きながら、まるで再会を喜ぶかのように摺り合っている。

「もしかして…知り合いなのかな?」

かさねが仲睦まじい二匹の様子に嬉しげに口の端を緩めた。


猫はまるでお礼を言う様ににゃあと揃って一鳴きして、そのまま二匹で何処かに行ってしまった。


「…行っちゃった」

「ん、…まあ相方が見つかったみたいで良かったんじゃねぇのか」

寂しそうなかさねを横目で見やり、内蔵助は精一杯の励ましの言葉を、ぶっきらぼうに投げかける。
かさねはそんな内蔵助の言葉に、少し照れたように笑った。

「内蔵助、また遊びに来てくれるといいなぁ」

「…はぁ!?」

かさねが猫に対して己の名を呼んだので思わず内蔵助は素っ頓狂な声を上げてしまった。


「あ、あの子の名前です。なんだか内蔵助さんに似てるなぁ、って思って
内蔵助さんの名前つけたんです」

かさねは照れ隠しに頭に手を遣りながらアハハと笑いを溢した。

内蔵助は、そのまま何も言えず、かさねのその笑顔を見つめた。

「あの子たち、恋人同士だったのかも。なんだかいいですよね、そういうの」

かさねがキラキラとした視線を、猫が去った方子へと向けた。
己がこの女の名前を、あの黒猫に着けたという事は、かさね自身知る由もないという事は重々分かっているが、
まるで心臓を掴まれた様な感覚に落ちいった。

「あの、内蔵助さん!あの黒猫さんの名前、一緒につけましょうよ!何がいいと思います?」

「野良猫に名前なんていらねぇーだろ!」

「えー、でも寂しいじゃないですか。白猫さんの方が内蔵助さんの名前だから…黒猫の方はなにがいいですかね?」

かさねが歩き出す内蔵助の背後をとてとてと付いてくる。

その様は先程の黒猫とまるで瓜二つ。

内蔵助は心の中で、あの猫の名前は、この女の名前以外あり得ないだろとぼんやりと思う。


(あの子たち、恋人同士だったのかも)


つい先程のかさねの言葉が脳裏を過って内蔵助は顔を赤らめた。

もうすでにあの黒猫に、自分がかさねの名を付けていた事など、

かさね本人には死んでも言えないと、熱の籠った顔を隠す様に、内蔵助は心の中で呟いた。






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