献上品
□熱
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どうも本調子じゃないようで、かさねは微かに唸りながら廊下を歩いた。
朝の掃除と朝食の支度を済ませ、かさねは僅かに出来た己の時間に頭を抱えた。
…なんだか今日は頭がぐらぐらして、だるい気がする。
かさねはいつもより微かに熱い息を吐いた。呼吸を整え、冷たい井戸水をいっきに飲み干した。
体調不良でも休むことができないのだ。だから少しでも楽になればと取った行動だった。
あの理不尽で容赦ない暴君にこの具合の悪さを訴えても、きっと袖にも相手をしてもらえないに違いないと、
かさねはため息をついた。
「おや、かさね殿ではありませんか」
その時五朗左がふいに名を呼んでかさねは驚いて振り向いた。
相変わらず三人揃ってのお出ましである。
「あー、…おはようございます皆…」
体調の悪さを押し隠してかさねは笑って返事を返した。
五朗左達はかさねの懸命な努力の甲斐あってか、かさねの様子の訝しさに気がつかないようで返事を返す。
「これから兵の試合稽古ですが…、かさね殿ももちろん参加するでしょう?」
「あ、そうだったっけ…」
かさねはぼんやりする頭を整理しながら気の抜けた返事を返した。
「新助殿も毛利殿もかさね殿との手合せを楽しみにしていますよ」
五朗左がにこりと笑ってかさねに言った。かさねは「うん」と頷いた。
そういえばこの前手合せの申し出を二人に受けていたことを思い出し、己の安請け合いにかさねは微かに悔やんだ。
(ちょっとだけなら大丈夫かな…)
「うん!…行きます」
かさねは進み始めた五朗左達の後を付いて行った。
具合が悪いことを悟られて、三人に余計な心配をかけたくなくて、かさねは何も言わなかった。
「そこまで!」
「うう…っ」
五朗左の声に、新助が地面に尻もちをつきながら呻いた。
かさね達が稽古場にやってきて、いつものようにかさねに手合せを申込み、手痛くやられた為だ。
「も…もう一度お願いします草薙殿!」
「はぁ…っ…は…」
新助がまた立ち上がって木刀をかさねへと向けた。
かさねは荒い息使いをしながら新助を見遣った。
激しい運動に意識がぼんやりとした。あれから熱がどんどん悪化している気がする。
普段ならこんなに息が乱れないのに、酷く酸素が薄い感覚がする。
(これ…本格的にやばいかも…)
目の前に立つ新助の姿もどこか朧げで、まわりから投げかけられる言葉は頭に入ってこない。
「かたねやれやれー!」
「おい馬鹿女!お前は俺が倒すんだからな!新助程度でやられんじゃねぇぞ!」
「こら、内蔵助。かさね殿の応援をしたいのなら素直にすればいいのに」
「ば、ばっかじゃねぇの!?そ、そんなわけあるかよ!」
がやがやと騒ぐ三馬鹿組や、他の兵たちの声もよく聞きわけが出来ない。
「励んで居るようだな」
「信長様!」
その時信長が腕を組んで現れ、その場の全員が畏まった。
信長は中庭の中央で稽古しているかさねと新助を見て、信長は鼻を鳴らし縁側にどすっと座り込む。
「見学なさいますか?」
「フン」
五朗左の言葉に微かに鼻を鳴らして返した後、信長は胡坐をかいて肩肘を着いてかさね達を見据えた。
なんで殿様が来るの…!?
かさねは信長の姿を座った眼で見つめがら心の中で呟いた。
信長が居てはますます体調不良と訴え辛い。
信長が現れ、居心地悪そうにするかさね。
それなのに遠慮なく、じぃ〜っと見てくる信長の視線に、かさねはますます汗が滲む。
かさねは虚ろう意識を無理矢理開眼させ、木刀を握りなおした。
「では…、はじめ!」
「でやぁーッ!」
五朗左の合図に新助がかさねへと突っ込んでくる。
かさねはそれを寸での所で避け、新助と距離を取ろうと引き下がる。
しかし途端に視界がグラつき、視界が歪む。
意識が遠のくのを感じ、後ろへ引き下がろうとしたまま態勢を崩して、そのまま地面に倒れ込んだ。
「くっ、草薙殿!?」
「かさね殿!」
「かたね!!」
周りの皆が驚いて身を乗り出す。かさねは地面に横たわったまま身動きが取れずに、荒い息を繰り返した。
汗が妙に冷たくて、体が熱いのか冷たいのか、よくわからない。
「早くかさね殿を…殿!?」
五朗左がかさねに駆け寄ろうとすると、いつの間にやら倒れているかさねの傍らで、信長が膝を付いてかさね容態を見ていた。
「……はっ…ぁ……と………の…………?」
「…」
呂律も覚束ないまま、かさねはぼんやりと信長を不思議そうに見上げた。
信長はかさねの前髪を掻きわけて、その額へと触れた。
「…熱い」
信長はぼそりと呟いた。かさねは返事を返すのも辛いのか、何も言葉を返さなかった。
「と、殿…?」
五朗左が恐る恐る座り込んでいる信長に声をかける。すると信長はギロリと五朗左に視線を向けた。
「たわけ、何をしておる!医者を早く呼ばぬか!」
「は、はっ!只今!!」
信長の叱咤に五朗左は我に返り、慌てて内蔵助と犬千代と共に、医者を呼びに駆けて行った。
「ひゃ…っ」
信長はそのまま倒れていたかさねを横抱きにして抱き上げた。俗に言う、お姫様抱っこ、である。
かさねは流石に驚いた様子で信長の顔を驚いたように見、他の家臣達も、まるで鳩が豆鉄砲を喰らった様に、口をぽかんと開けて信長とかさねを凝視する。
「ちょ…っ…との、さま…っ?」
「五月蠅い。黙ってろ」
まさかの信長の行動に、かさねの熱がますます高くなる。
信長のぴしゃりとした叱咤に、かさねは何も言い返せずに口を噤んだ。
信長はそのまま足早に中庭から縁側へと戻り、城の渡り廊下へと戻っていき、かさねの部屋を目指して歩み始める。
かさねは黙って真っ赤な顔で、落とされない様に信長の首に縋りつく。
どくんどくんと熱が上がって身体が酷く熱かった。
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