戦國ストレイズ

甘い君
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「…殿様、一体どういうつもりなんだろ…」

信長の寝室の前まで来たはいいが、かさねは襖を開けるか開けまいか迷っていた。
頭の中では信長みたいな人がそういう意味で自分を呼んだのはありえないとはわかっているが、やはり年頃の女として、若い男の部屋に入るのは憚られる。

「…うう…入りずらいなぁ…」

「…遅い!何をぐずぐずしている」

かさねの漏らした声が聞こえたのか、それとももともと気配を察していたのかはわからないが、信長の鋭い叱咤が襖越しに投げられた。

かさねは覚悟を決め、襖を静かに開けて部屋へ入っていった。
そこには白い布団が敷いてあり、その上に信長が薄い寝間着を着てあぐらをかいて座っていた。

「えっと、私に何か用ですか?」

とりあえず当たり障りのない言い方で問い掛ける。信長の近くに不用意に近付かない様に、微妙な距離を保つ。
その問い掛けに信長はじっとりとした視線をかさねに向け、軽く顔を動かし、近くに座れ、と目配せする。
かさねはとぼとぼ歩き、信長の側にちょこんと座る。

目だけで信長を盗み見れば、険しいが端正な顔立ちが目に入る。とたん、信長の射る様な紅い目がかさねの目を捕らえ、かさねは慌てて視線を反らした。

「…あの」

一体何の用事かも告げずに、信長は黙ってかさねを見るばかりだ。その視線が重くてかさねは萎縮する。
信長は逡巡するように顎に手を置く。信長の癖のある長い黒髪が、さらりと肩から零れ落ちる。

「…おまえのもとの世界とは、一体どのような所なのだ?」

「…はい?」

かさねは思いも寄らない信長の一言に、思わず抜けた声を上げてしまった。
元の世界。それは私が今まで暮らしていた世界の事だろう。
かさねは少し意外だと目を丸くした。目の前の現実主義な横柄な、この人物が、そんな事気にするなど思いも寄らなかったのだ。

私がちがう世界の住人だと信じてくれたのはこの青年だけだったが、もともと家柄だの、生まれだの、性別などを気にする性格では無いらしく、何だかそれを当たり前の様に受け入れていた自分に驚いた。

「もしかして、それを聞くために呼んだんですか?」

「こんな話、佐渡や、権六の前では聞けんからな」

少しバツが悪そうな顔をして信長は言った。この傍若無人な青年にも人並みに好奇心と探求心があり、その気持ちはまだ17歳の自分と何らかわらない。
しっかりしてて、厳しくて、凄く大人っぽい目の前の青年は、まだただの19歳の、自分とさほど歳の離れていない青年なのだとわかり、何だか妙な親近感が湧いてかさねは嬉しくなった。

「そんなのだったら良いですよ!いくらでも話しますよ!」

「…」

部屋に入った時の信長に対する警戒心は何処へやら、かさねは今はみんなが寝静まる宵の刻だということも、そんな夜中に男とたった二人きりで寝所に居るということも、全く気にならなくなっていた。






「…それで、車ってのは…」

「…」

どのくらいの時間が経っただろうか。信長との話に夢中で(主にかさねが一方的に話しているが)それでもかさねは十分楽しかった。
自分の世界に興味を持ってくれるのは悪い気はしなかったし、信長もかさねの話を黙って聞いてくれた。

殿様って意外に優しいんだな…。

行くあてのない自分を拾って働かせてくれて、にわかには信じられないであろう話も信じてくれて。

本当は優しい人なんだ。

ただ愛想がなくて、吊り目で、横暴で、厳しくて、全く何を考えてるかわかんない人だけど。

「おまえの世界の婚姻は一体どうする?」

「結婚の事?」

これまた信長イメージとはそぐわない質問で、かさねは微笑を零す。
そんなかさねの笑みを見て、馬鹿にされたと取ったのか、信長の眉がピクリと吊り上がった。

「…何だ?」

「え?いや、その、ちょっと意外な質問だったからつい」

「話さんのなら、いい」

「え。いや、話しますって!」

信長はますます気分を害したのか、拗ねたように腕を組む。何だかむくれた時の正宗に似ていて、少しだけかわいい気がする。

「私の世界は好き同士だったら誰でも結婚出来るんですよ」

「好いた者同士?身分は?許婚は?」

「身分も関係無くて…許婚も。両思いだったら誰だって好きな人と結婚出来るんです」

「…随分と平和な話だな」

「でしょ?」

そう言ってかさねはにっこりと笑う。満面の笑みだ。

「…」

飾らない笑顔。媚びない態度。俺を全く恐れない女。

「…おまえの世界の女というのは、みなおまえの様な女なのか?」

ぼそりと呟いた信長の言葉に、かさねは目を丸くする。

「…わ、私みたい?」

意図がよく分からない。この格好の事かな?
だったら違う。制服を来てるのは女子高生だけだ。

「おまえ、生娘だろう」

「…き、きむすめ??」

わけのわからない単語にかさねは首を傾げる。

「処女だろう」

一瞬、時間が止まった。

しょ、じょ?
処とかいて女…。

「しょ…!!」

かさねはやっと信長の言葉の意味を察して、かさねは耳まで真っ赤になった。
さすがに高校に入ったこの歳で、この言葉が分からないわけもなく。でももっと先だと思っていた。

「別の世界の女と言うのは、ここの女と違うものか?」

いつの間にか目と鼻の先にまでにじり寄って来ていた信長に、かさねは思わず後ずさる。

「え?え?え?ちょ、何ですか?てか、ち、ちかッ!」

かさねは動転して距離をなんとかおこうとするが、信長は全く意に介さないようすでかさねとの距離を縮める。
もう互いに息遣いがわかる距離だ。信長の紅い目が、どうすればいいかもわからず、動揺している自分の姿を捕らえている。

「…ッ!」

信長の長い癖のある髪が微かに顔にかかったと思ったら、ふわりと首筋に柔らかい感触が触れる。
ちゅ、という短い音と共に、何かに強く首を吸われる。
痛みに成り切れない窮屈さが首筋に広がり、かさねは信長を思い切り突き飛ばした。

「い、いきなり何するんですか!?」

キスされた。首にキスされた!

動揺と困惑で冷静さをすっかり欠いたかさねは、呂律さえ上手く回らない様だった。

青くなったり赤くなったり、飽きない女の表情の著しい変化に、信長は薄く笑った。

「首を吸っただけだが」

「!!」

直接的な信長の言葉に、かさねは耳まで赤くなる。
信長本人は悪びれもせず、寧ろ薄笑いさえ浮かべている。

「こ、こういうのは好きな人同士でしたほうがいいと思う…!!」

信長にキスされたヶ所を手で押さえながらかさねは立ち上がり、襖に背中がぶつかるまで引き下がる。
ぶつかった襖を空いたもう片方の手で手探りで開け、逃げる様に信長の部屋から出ていく。

「…」

取り残された信長はかさねの姿を無言で見送った後、かさねが出て行った方向とは別の襖を睨み付けた。

「そこに居るのだろう、佐渡」

低い声をより低くし、信長が吐き捨てた。信長の声に襖が静かに開く。

「やはり気付いておいででしたか…」

襖から佐渡が面目なさそうに顔を覗かせる。
その姿を横目で確認した後、信長はさらに眉間にしわを寄せた。

「のぞき見とはいい趣味だな」

「め、滅相もない!この林!いつ止めに入ろうかと冷や冷やしておりましたぞ!」

佐渡はそう言って傅く。主の信長は今まで浮いた話をろくに聞かない朴念仁。
そんな主が鳴海で拾った、奇妙な娘を寝所によんだのだ。気にならないわけがない。

覗くという武人にあるまじき所業を行いたいが為に隣の部屋で控えていた訳では決して無く、もし信長様が万が一にでも、あの女子に手を出そうとするならば、切腹覚悟で止めに入るつもりだったからである。

女子に興味をもたれるのはいいことだが、どこの馬の骨とも知れない面妖な娘を、やたら滅多ら手を出されては、今まで先代の父君、信秀公が築き上げてきた尾張の織田の名も廃れるというもの。
万一までも、あの娘が孕んで妻ともなれば、ますます民の心も、家臣の忠義も織田から離れる事となるだろう。

「フン…」

信長は微かに鼻を鳴らし、つまらなそうに布団へ膝を着いて横になる。
どこからか信長が拾って来た猫が入って来て、信長に擦り寄った。

「信長様。…家臣や犬猫とは違うのですぞ。早々どこの馬の骨とも知れぬ娘をお手付きにしようなど。…少々お戯れが過ぎるのではありませんか」

佐渡の厳しい口調に、信長は渇いた笑いを零した。
擦り寄ってきた猫の喉掻き、猫はぐるぐると喉を鳴らした。

「何…半分冗談だ」

「半分は本気という事でしょう!」

信長の言葉に佐渡は呆れ顔で叱咤するが、当の信長はどこ吹く風の様だ。
佐渡は、はあー、と信長に聞こえるようにわざと深々とため息を吐き、呆れとも感嘆とも付かない口調で口を開く。

「…全く…、あの娘の首に、わざと痕を残しましたな」

佐渡の言葉に信長がピクリと反応する。猫を撫でていた手を止め、視線だけを佐渡へ向ける。

「…お甘い方だ…」

「…」

「まだ子供とは言え、若い女のあの娘に、良からぬ行いをせぬとも限らぬ者を牽制なさるために、当主であるご自分のお手付きだと、噂でも広めるおつもりですか」

「…」

信長は何も言わなかった。また猫を撫でるのを再開する。
猫はもっと構って欲しいと言わんばかりに鳴いた。
信長はすくっと起き上がり、猫を膝上に乗せた。片手で猫を持て余しながら、窓から月を見上げる。

「あの女…妙だな」

「は?」

ぼそりと独り言の様に呟いた信長の言葉を、佐渡は思わず聞き返してしまう。信長は気にせずに猫と戯れながら言葉を続けた。

「あの女は俺を、他の民や家臣の者どもの様に、畏怖の目で俺を見ない。媚びもしない。ましてや尊敬などしていない。あの女に在るのは好奇心。それだけだ」

信長は薄く笑った。あの女の事が思い起こされる。初めて会ったとき、恐れず、真っ直ぐ俺の目を見て抗議した姿。
拾ったあと、あの三馬鹿どもにわざと捨てに行かせ、意味のない川へ身を投じ、びしょ濡れの姿で、俺の目だけを真っ直ぐ見て。

あの女はいつも俺を見る時は真っ直ぐ、視線を反らさない。
大きな栗色の瞳に、恐れも媚びも懸念もない。

「面白い女だ」

そう言って信長が愉快そうに笑ったのを、佐渡は知らない。


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