銀河英雄伝説

□ワルキューレは勇者を愛する
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 劣悪遺伝子排除法は、撤廃された後もしつこく帝国の医療に影響を残した。為に帝国の医療技術はフェザーンや同盟に比べて遅れており、ミュラーの怪我の経過は、基本的に彼個人の回復力次第となった。
 ワルキューレの襲撃から逃れるためか、見舞いの甲斐あってかはわからない。入院生活は1週間ほど予定を繰り上げて終了し、自宅での療養に変わった。
 そこにも当然のようにユーディットは顔を見せるのだが、室内をむせ返るような花の香りが充満しなくなっただけ環境は改善されたかもしれない。
 入院中の見舞いなら、五百歩譲って友情の証と受けとることもできる。しかし自宅療養に切り替わっても相変わらず毎日顔を見に来るとあっては、妙な期待をするなというのが無理な話だ。
「フロイラインは」
 声が裏返りそうになるのを、なんども咳払いをしてどうにかこらえる。こんな姿、幕僚にも同僚にもみせられたものではない。ユーディットと入れ違いに、副官のドレウェンツ少佐には遣いを頼んだ。見栄好いた厄介払いだ。
「フロイラインは、このように毎日見舞いに来てくださるが」
 いざ目が合うと、気恥ずかしさに反らしたくなる。
「婚約者殿に勘違いされては、困るのではありませんか」
 こと恋愛に関しては、ミュラーよりも鈍感なユーディットは、この言葉を言葉通りの意味に取った。きょとんと目をしばたかせたユーディットは朗らかに笑って
「そんな男は居らん。卿は時折おかしなことを聞くな」
「すみません」
 恋愛音痴にはストレート勝負しか通用しないことはこの半年間で身に染みたことだったのに、ミュラー自身もつい様子見の変化球しか投げられないでいる。
 せめて相手がもう少しわかりやすい人物だったら、二人の関係はもっと早くに変わっていたかもしれないが、それを言っても始まらない。
(とりあえずは)
 婚約者がいない。それがわかっただけで、ミュラーは落ち着いた気分になっていた。



 9月の第一土曜日、ナイトハルト・ミュラー大将は医師から完治のお墨付きを得ると、その足で元帥府に参上し、現役復帰の手続きを済ませた。
原作4巻を見ると、その日の夜に海鷲でミッターマイヤーとロイエンタールに会い、「ロイエンタールが資源を独占しているから、いい女がまわってこない」と言っているので、このエピソードは成立しないんですがね(^^;
 そしてその翌日、ミッターマイヤー上級大将はミュラーの退院祝いの席を設けた。参加したのはロイエンタール、ビッテンフェルト、メックリンガーの4人である。
 退院祝いであることに違いはないが、かねてより噂になっていたことについて、最年少の同僚をからかういい機会だとばかりに、話題はそこに集中した。
「毎日女性が来ていたそうではないか」
 面白そうに言うミッターマイヤーに、全員がミュラーの反応を待った。
「あの花もその女性からだろう? どういう関係なのだ」
「それが、よくわからんのです」
「わからんとはどういうわけだ」
 ビッテンフェルトは勢い込んでたずねたが、ミュラーもはぐらかしているわけではない。困惑しているミュラーに、ミッターマイヤーは目で先を促した。
「実は・・・」
 とミュラーはリップシュタット戦役からのことを掻い摘んで話した。
「ミッターマイヤー提督ならどうしますか」
 女性関係はロイエンタールが一番経験値が高そうだが、相談相手としてはふさわしくない。ここはこの場で唯一結婚しているミッターマイヤーに意見を求めるのが一番だろうと、ミュラーはじっと2歳年長の同僚を見た。
「お、俺はだめだぞ。自分のことで手一杯だ」
 乗り出していた体を深く椅子の背もたれに引いて、ミッターマイヤーは降参の意を露にする。
「女なぞ、押し倒してしまえばいいのだ」
「ビッテンフェルトはいつも極論に走りすぎる」
 諌めたのはメックリンガーだ。冷静に切り返されて、ビッテンフェルトはややムキになって言い返す。
「女を口説くのも、戦も同じだ!」
「それでは卿はいつも負け戦ではないか」
 というメックリンガーに、一番楽しそうに笑ったのはロイエンタールだった。ある意味女を口説いたことがないのは、ロイエンタールも同じかもしれない。彼の場合は女のほうからよってくるだろうから。
「まあ、ビッテンフェルトの言も一理ある。それで、卿はその女性をどう思っているのだ」
 結局は、それが一番重要なのだ。
「それが」
 身を乗り出す諸将の前で、ミュラーは途方にくれた。
「それもよくわからんのです」
「わからんとはどういうわけだ」
 これにはミッターマイヤーも呆れた。
 とりなすようにロイエンタールが「相手は誰なんだ」と確信に触れる。
「フロイライン・アーべラインです」
「なっ!」
 ミッターマイヤーとロイエンタールは顔を見合わせ、ビッテンフェルトは酒を噴出しむせた。
「あ、あの女はやめておけ!」
「ビッテンフェルト提督は彼女と面識がおありですか」
「ない!」
 あってたまるかと、ビッテンフェルトは身震いした。
「ヴァルハラに連れて行かれるぞ!」
「言いすぎだぞ。ビッテンフェルト」
「何が言い過ぎなものか。戦狂いだの、碌な噂を聞かんではないか」
 まあ、確かに。とミッターマイヤーとロイエンタールは苦笑する。夜のバーで彼女の襲撃を受けたのは、まだ記憶に新しい。
「ヴァルハラに連れていく男が居なくなると、自分で作るとか。何が戦乙女か。悪辣な男食いに違いないぞ」
 どんな噂を聞いたのだと呆れるメックリンガーが口を開く前に、ドンっとテーブルが叩かれた。
「そんなことはない!」
 ビッテンフェルトの大声を上回るほどの音量で言い切ったのは、肋骨が痛むはずのミュラーで、一同は思わずしんと静まり返った。
「・・・っあ、す、すみません」
「こ、この話はここまでとしよう」
 と、ミッターマイヤーは次の作戦についての話題を振った。ぎこちなく乗ってきたのはビッテンフェルトだけで、メックリンガーはミュラーの肩を叩いて酒を勧めた。社交界に出入りがあったメックリンガーは、かのワルキューレとは面識があった。確かにお転婆にして破天荒な姫君ではある。しかしそれだけではないことも、噂に聞いていた。その様子をロイエンタールは黙って眺めている。一人酒を含むその口元が笑っていた。


 それから後も、見舞いを口実にユーディットはミュラーの官舎を訪れた。
 入院期間も含めれば約二ヶ月。ほぼ毎日二人は顔を合わせていたわけだが、二人の関係は一切進展せぬまま、489年9月、ミュラーは職務に復帰した。

 そして、幼帝誘拐に端を発した「神々の黄昏〜ラグナロク作戦」と銘打たれたフェザーンおよび同盟への侵攻作戦が開始される。

 490年5月5日、4度にもわたり旗艦を乗り換え指揮を続けたミュラーが「鉄壁」の異名を頂いたバーミリオン星域会戦が終結し、5月25日バーラトの和約が締結されて、およそ9ヶ月間に及ぶ戦いに終止符が打たれた。帝国と同盟における130年の戦いも、ここに一応の決着を見るのである。

 余談だが、バーミリオン星域会戦でミュラーの旗艦リューベックが爆沈したとの報告を受けた際、ユーディットは新調したティーセットを壊している。
 後日再会を果たしたミュラーは、わけもわからぬまま、ユーディットにティーセットを贈らされた。4.5
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