銀河英雄伝説

□ワルキューレは勇者を愛する
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 帝国歴490年改め新帝国歴1年、6月22日。オーディンの新無憂宮の広大な黒真珠の間で、新皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラム1世が誕生した。
 数千人に及ぶ文官武官に混ざり、ユーディットも母ツェツィーリアの名代として即位式に出席している。4.6
 黄金獅子の旗の下、統一され平和が訪れたと思われた新帝国も、早々にきな臭い事件で始まった。キュンメル事件と呼ばれる皇帝ラインハルトの暗殺未遂である。この後も、同盟残党との戦争が完全に終わったわけではなく、人々の意識に戦争のない平和な時代が訪れたと染み渡るまでには、もう少し時間を要した。
 この頃、ユーディットは、手記を発表した。
 基本的には回顧録だ。門閥貴族から見たゴールデンバウム王朝末期の様子や、リップシュタット戦役についてのユーディットの見解などが、権力者に媚びない自由な筆で記されており、ラインハルトを苦笑させたと言われている。
 手記によると、この頃のユーディットは、オーディンで暇をもて余していたらしい。退位したカザリン・ケートヒェンの生家であるペクニッツ公爵家との交流や、大勢の変化に戸惑う旧貴族たちの相談に乗っていたようである。

 外敵との戦争が終わっても、争乱事態がなくなったわけではなかった。戦争よりもよほど身近な問題として、帝都の人々の心の平安を奪った事がある。テロだ。
 新帝国政府要人を狙ったテロではあった。しかし巻き込まれる一般人が皆無であろうはずがなく、いつ起こるかわからない死と破壊の恐怖に、新皇帝誕生万歳と挙げられていた手は、早速小さく折り畳まれてしまったのだった。
 同盟首都星ハイネセンでの、高等弁務官レンネンカンプ上級大将の死が知らされ、帝都がオーディンからフェザーンに遷都すると発表された時。一先ず人々は、新たな争乱への不安よりも、テロの矛先が自分達の住む場所から外れた事に安堵を覚えた。
 9月に入り、皇帝ラインハルトが玉体をフェザーンに移すのと同時に、オーディンの人々を恐怖させた爆破テロも、舞台をフェザーンに変えた。否、ラインハルトのいる場所、と言うべきか。
 帝国戦没者墓地の完工式での皇帝襲撃事件。これ以外にも、稀代の英雄は頻発に命を狙われ続けた。
 そんな中でも、荒事のない数ヶ月もあったわけで、微笑ましいエピソードがまったくなかったわけではない。
 同盟が完全併呑された新帝国歴2年の9月。皇帝主催でオペラ観賞などが開かれると聞いたとき、ユーディットは呆れながら笑ったものだ。
「ラインハルト陛下は暇なのか」と。
 聞いたミュラー上級大将はこれには流石に、温厚な顔を憮然とさせたが、実際皇帝が暇潰しに乗馬や芸術鑑賞をしているのは有名だったので、深くは追求せずに本題を口にした。
 彼を憮然とさせていた理由はもうひとつあって、どちらかといえばこちらが本命だった。皇帝のオペラ鑑賞の随行を命じられていたミュラーは、同僚に相談しても宛にならないと判明するや、オーディンのユーディットに愚痴半分どうしたものかと惑星間通話を架けたのだ。
 勿論、久し振りに彼のワルキューレと話がしたかったから、という単純な理由もある。
 ユーディットは自分もそれほど芸術面に造詣が深い訳ではないと言い置いて、「とりあえず目を開けて舞台を見ていればいい」と、アドバイスにもならないようなことを言っている。「芸術なんてものは観る側がどう感じるか、それだけのことだ。それに、内容について、陛下が卿に意見を求められることもないはずだ。歌や芝居への造詣は、陛下も卿とそう変わらないはずだから」と。
「楽しんでくればいい」
 無責任にユーディットは笑ったが、「聴いてもわかるはずのない前衛音楽」を拝聴せねばならぬ羽目になったミュラーは、通信画面越しに「やはり戦争なり内乱なりの方がマシです」と冗談めいたぼやきをこぼして通信を切った。この台詞を彼が後悔することになるのは、ほんの1ヶ月後のことである。

 新領土総督となった元帥ロイエンタールの叛意がまことしやかに噂される中、ロイエンタールの要請で新領土視察へと向かったラインハルトに、ミュラーは首席としてルッツと共に同行している。大親征慰霊碑参拝のために立ち寄った惑星ウルヴァシーで基地全体に及ぶ反乱が起こった際、ミュラーは負傷しながらもラインハルトを守った。
 皇帝襲撃の報告を受けた時よりも、その襲撃でナイトハルト・ミュラー上級大将が右腕を撃たれ負傷したということにユーディットは狼狽していたと、後にフランツ老人は語っている。
 それまでフェザーンへの遷都になど興味を示さなかった彼女が、急にフェザーン行きを決めたのはこの報を受けた直後だった。5+

 新帝国暦3年の2月に行われたラインハルトの結婚式にも、ユーディットは当然のように列席した。
 以降、オーディンに帰る素振りもなく、そのままフェザーン新市街のはずれに小さな邸宅(あくまでオーディンの邸宅に比べて、であって、世間一般にはお屋敷と呼ばれるレベルのもの)を借りて住まうようになる。5++
 ミュラーが気付いた頃には、ユーディットはもう何年も前からそこに暮らしていたような顔で、フェザーン商人の妻や子供たちを家に招き、更にはフェザーンに居を移したばかりの帝国軍人の妻たちとをも交流を深めていた。
 人との繋がりの重要性を、貴族の中に生まれ育った彼女は、肌で理解していたのだろう。
 上は皇妃ヒルデガルド、宇宙艦隊指令長官ミッターマイヤー元帥夫人エヴァンゼリンから、下は街のクリーニング屋の若奥さんまで、ユーディットの交際は多岐に渡った。

 先述の通り、戦乱で迎えた新帝国暦は、皇帝が崩御するまでのわずか2年半のうち、やはりほとんどが戦乱の中にあった。
 ユーディットが居を構えた新帝都フェザーンの新市街も混乱からは逃れられず、帝都は何度か爆破テロの脅威にさらされた。一度などはユーディット自身がそのテロの中に身をおくことになる。仮皇宮・柊館の襲撃事件のことだ。
 フェザーン市内で暴動がおきたという報告を受けたユーディットは、すぐさま自邸周辺の警備をしている憲兵たちを集結させた。今では召使となっている元部下たちにも武装を命じ、自身は動きやすい乗馬服で指揮を執った。帝都防衛を任されている憲兵総監ウルリッヒ・ケスラー上級大将が、市内視察のため、憲兵本部にいないことをユーディット自身把握しており、この暴動が仮皇宮にいる皇妃ヒルデガルドを狙ったテロだということを見抜いてのことである。
 ケスラーが帝都中心市街へと辿り着いたとき、暴動鎮圧はほぼ収束に向かいつつあり、メインストリートに築かれたバリケードはきれいに撤去が完了していた。驚いたのは、そこで憲兵たちの指揮を執っていたのが部下ではなく、警護対象であるはずの乗馬服の婦人であったことだ。
「フロイライン。なぜこのようなところに? 危ないからお下がりなさい」
「いいえ。友人の危機を座して見ているわけには参りません」
 上級大将相手にまったくひるまない。柊館で何度か顔を合わせているこの女性が、噂のワルキューレだということを、ケスラーはこのとき改めて思い出したという。
「柊館までの道は確保しました。お急ぎください。私の護衛についていた兵をお返しします。閣下、皇妃様をお助けください」
 中将が上級大将にするように、ユーディットはケスラーに敬礼した。そしてケスラーが柊館に向かった後は情報収集などの後方支援に回る。ユーディットと憲兵隊との連絡役は、この日ユーディットに「こき使われた」ユフト准将が勤めた。

 5月14日、22時50分。ヒルダが搬送先の病院で男児を出産すると、ケスラーやマリーンドルフ伯に次いで皇太子の尊顔を配する栄誉を賜る。
 後日、皇帝ラインハルトから勲章が授与されたのを、ユーディットは「皇帝陛下より先に殿下のご尊顔を配する栄誉を賜りましたので」と辞している。変わりに皇妃ヒルダから「友人としての感謝の印」を受け取った。ラインハルトの死後も皇妃ヒルデガルドと大公妃アンネローゼとの交友は続き、いつの間にか彼女を表す形容詞は「戦狂いのワルキューレ」から、「皇妃の友人」に変わっていった。

 帝都に帰還したミュラーは、ケスラーからこの話を聞いた。「女にしておくのは惜しい。大した珠だ」との賛辞には我が事のように喜んだものの、テロのただ中で指揮を執ったと聞いたときには、驚愕のあまり万年筆を一本だめにしている。
 この有様を見てヘイゲンは、二人は似たもの同士だと感想を抱いた。
 惑星ウルヴァシーでの皇帝襲撃事件の現場にミュラーも同席していたわけだが、このときもユーディットはカザリン・ケートヒェンに贈る約束のバラの鉢植えを落として割ったことを知っていたからだ。
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